②私が目撃した津波の威力 帰り途中、突然目の前に広い範囲で津波に呑まれた被災区を目撃した!
福島に繋ぐ国道のトンネル入り口で倒壊した民家 3月15日
見渡るところ破滅てきな光景
余震が続く中でも被災者が自分の遺物を懸命に探す
途中陸前高田市を経由。ここも広範囲被災
取材用車は成田空港で北京から「北京青年報」と「北京晩報」の記者を乗せると、そのまま被災区に向かっていきます。暗くなった夕方に岩手県大船渡市の津波に襲われた地域に入った!周りが暗く、前方の道路が塞がれた!このとき、すぐ後ろについてきた車から私たちを導いてくれた!菊池さんという獣医で、彼のおかけでこの恐怖な村から脱出できた!)
これは私たちが目撃した最初の津波に襲われた現場。道路のガードレールが完全に折れ、流された!右の車が民家の入り口階段の上に中釣りになっている!)
近寄ってみると、車が落ちそうに、岩階段の上に引っ掛かっている!) 大船渡市は人口約4万人の小さいな市。しかし、4月19日の時点で死者数は約300人いる、不明者200名。最も被害が大きな地区でもある。中国からの救援隊がここにきているので、救援隊を訪ねていくわけです。
この辺りは港と商店街。建物がほぼ全壊。
この車がテロリストに撃破されたように傷だらけ
ここ、港のコンクリート床が抜かれ、津波の威力が分かる
見るに分かるように陸上に上げられた船
小さなポートは粗大ごみの一つにすぎない
巨大なクレーンは倒れていない。周りにコンテナなどの荷物に固められている
津波避難所としていたが、ここまで津波が押し寄せてきた
木造建物は上部分すべて綺麗に流され、コンクリートの基礎だけが残る
唯一床に残っているのはこの便座
どこから流されてきた巨大なタイヤが
自宅の敷地内で遺物を探す高校生の姿も
この家はかなり高所に位置している。しかし、一人暮らし78歳のお婆さんが自宅から十数メートルのところで津波に呑まれた。被災後5日経ったこの日仙台に住む娘一家は遺留品を運び出している。仙台も地震の被害が酷く上、ガソリンが入手できないため、早く来れなかった。住宅の一階部分は破壊されたが、二階は中吊りのまま荷物を一家で運び出している。
晴天となる18日、人々はようやく待ちに待ったガソリンが手に入れることができた。それも一台限り3000円まで。車出ない人はガソリンタンクで貯蓄。ガソリンのない暮らしは暮らせないからだ
高校生と思われる女子が片手に重そうな灯油運んでいる
ガソリンと灯油の解禁で町中少し活気が出てきた。食料品と同じく、ガソリンは命でもある!
中国救援隊がこの辺りで活動している。赤い車に「C」と書いているのは中国救援隊が捜索済みの標識。
このガソリンスタントも津波に襲われた。一部の設備も壊れているが、この日無理してても営業を開始
3月19日から、既にここで待機しているブルドーザーによるがれき撤去の作業が始まる 次は③避難所・領事館・空港 写真&ビデオ 日中TV 劉傑 (责任编辑:hx) |