④勇士の記者たち!
救援隊でCCTV密着取材の記者と出会え、帰りに花巻空港まで一緒に
(北京からの記者たちと共にした日々が一生の記憶)
北京に100万人の読者が私のこの写真を待ってる! 祖国に戻ったように両手で抱き締めようと
(避難所の玄関も私たちの職場) (避難所の玄関も私たちの職場) (取材チームに唯一女性記者。仕事を始めると必死。) (昼は取材、原稿を書けるのは夜のみ。この日も一人で暗い中で原稿を書いている) (体育館は私たち生活の場でもある) (車は私たちの移動オフィスでもある) (北京からの記者たちで速報に間に合うよう現場で原稿を書き、写真を決め、電話で説明。 (大船渡市のNTTが津波に呑まれ、他のモバイル通信もダウンしている。記者たちが持ってきた (深夜、零下五度寒い中体が震える中で衛星通信を使って原稿を伝送する。) (この取材車も大変な役目を果たしてくれた。東京出発から帰りまでの往復で2000キロを走った。 (燃料不足中、ガソリンスタントで給油できたことが何よりほっとできること!) (避難所ではテレビ以外の情報源として新聞を読むのは欠かせない日課でもある。私の活動を「北京晩報」 (深夜でも一生懸命原稿を書いている記者たちの頑張りぶりを見て、頭を下げた青年も) (中国救援隊駐屯地まで案内してくれた獣医の菊池様の 熱心さに記者たちが感動された) (ここ新潟総領事館で王華総領事館が一行4人を迎えてくれた場所での集合写真が貴重な記念となる) 次回 ⑤中国緊急救援物資 |